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2016年11月13日
希望

   あるイタリアの詩人がこう言いました。「人間の生活に絶対に必要なものが3つある。それは、食物と健康と希望である。」
   人が生きるためには、どうしても希望が必要なのです。

『昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 15:4)

   聖書は、私達に希望を持たせるために書かれた書物です。そして、その希望の土台は、永遠のいのちです。もし、死が人の終わりならば、どのような希望を提示されても死と共に消えてしまいますから、どんな希望を与えられても、それは真の希望とはなりません。しかし聖書は、この地上での命が終わっても、永遠に生きることのできる命があると教えています。

『イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」』(新約聖書 ヨハネの福音書 11:25)

   イエス様は、ご自身を信じる者は死んでも生きることを人々に証明するために、ラザロを生き返らせるという奇跡をおこないました。そして、イエス・キリストご自身の復活によって、死は終わりではないことを示されました。イエス・キリストを信じる者は、永遠のいのちを持っており、死んでもよみがえります。これが私達の希望の土台です。そして、この希望を土台としたさらなる希望があります。

1.罪が赦されるという希望

   私達が永遠に生きられる者になるということは、罪が赦されることを意味します。神様は、あなたが自分の罪を言い表すなら、良い行いができるかどうかには関係なく、無条件であなたの罪を赦すと言われます。

『もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』(新約聖書 ヨハネの手紙第一 1:9)

   罪が赦されることが、私達にとってどれだけ希望になるのでしょうか。罪が赦されるとはどういうことでしょうか。
   昔、アメリカで実際にあった話ですが、ある男性が交通事故によって18歳の少女を死なせてしまいました。裁判によって、男性には150万ドル(およそ1億5000万円)の支払いが命じられましたが、少女の家族は、少女が亡くなった金曜日ごとに、毎週1ドルずつ、彼女が生きた18年間送金してくれればいいと申し出て、男性は了承しました。当初、彼は150万ドルの賠償金を逃れることができたことを喜んでいましたが、毎週金曜日ごとに自分の犯した罪を思い起こし、次第につらさに耐えられなくなってきました。
   罪というものは、日を追うごとに私達につらさをよみがえらせ、その人の足かせとなって心を暗く沈ませます。それがあまりにも耐えがたいことであるために、人は生きるために、無意識に犯した罪を忘れよう、ごまかそう、なんとか自分の記憶から消し去ろうとして生きています。人は誰でも過ちを犯し、失敗をする存在ですから、もし、罪が赦されなければ、罪がその人自身をつぶしてしまいます。イエス・キリストは、この罪を赦し、私達を罪のつらさから解放してくださるのです。
   イエス・キリストが示している希望は、罪を帳消しにするという希望です。あなたの犯した罪を帳消しにし、その苦しみから私達を解き放ち、私達の心を完全にいやしてくださいます。「罪が赦される」とは、「いやされる」ということと同じ意味だと聖書は教えています。

『そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 2:24)

   イエス・キリストが示す希望は、自分の犯した過ちを神様の前に正直に告白する時、心の傷がいやされるという希望です。イエス様は、永遠のいのちを与えるからには、平安に生きられるようにあなたの罪もすべて私が赦すと言っておられるのです。
   では、イエス様はどのようにして罪を赦してくださるのでしょうか。それは、「あなたと私が一つになることだ」と、イエス様は語っておられます。イエス様は罪を犯さない方であり、正しい方です。そのイエス様の中に私達を飲み込み、キリストの一部としてしまうことで、もうあなたの罪は問わないと言っておられるのです。表現を変えると、神様があなたの主人になり、あなたを覆うことによって、誰もあなたの罪を責めることができないということです。神様があなたの盾であり、いや、それ以上にあなたとしっかりつながって、あなたと一つになったのだから、誰も神を責めることができないのと同様にあなたを責めることができなくなったのです。これが、罪が赦されるということです。この平安が私達の心をいやし、罪が赦されたということを、一人一人にわからせてくれるのです。
   この素晴らしい希望があるおかげで、二番目の希望が生まれます。

2.やり直しができるという希望

   日本の社会には、一度失敗すると一生レッテルがついてまわり、やり直しがきかない風潮があります。そのため、皆必死になって自分の失敗を隠そうとするのですが、もし、やり直しがきく社会を築けば、日本はもっと明るくなることでしょう。
   イエス様によって罪が赦されるという希望によって、私達は、人生をやり直すことができるという希望が見えてくるようになります。過去の罪は赦され、あなたはやり直すことができるから、もう一度立ち上がって前に進みなさいと、神様は励まし続けてくださるのです。

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(新約聖書 コリント人への手紙第二 5:17)

   ウィルカーソンという牧師は、ニューヨークのスラム街で伝道するように導かれました。マフィアに通じているような不良少年達に日々福音を語り続けましたが、彼らはなかなか聞く耳を持ってくれません。そればかりか、彼をうるさく思った少年にウィルカーソンは刺し殺されそうになります。少年はニッキーと言い、これまでにも16回人を刺して捕まっており、不良少年の中でも一目置かれる存在でした。ニッキーに殺されそうになりながらも、ウィルカーソン牧師は、「私はあなたを愛している。神様も君を愛している。」と語りました。ニッキー少年は、この言葉を聞いて刺すことができなくなってしまいました。これまでそんな言葉を聞いたことがなかったのです。ニッキー少年の心には、「愛されている」という言葉が残ってしまい、彼はいたたまれなくなりました。「そんなはずはない。自分は愛される価値はない。」と否定し続けましたが、ついにイエス・キリストを受け入れ、彼は伝道者となりました。この衝撃的な出来事は、本や映画にもなっています。自暴自棄な人生を送っていたニッキーでしたが、イエス様と出会い、愛されていることに気づいたとき、人々に福音を伝える人生に変わりました。
   どんな人の人生も、イエス・キリストによってリセットされ、やり直しができます。ニッキーの例は極端かもしれませんが、いろんな人がイエス・キリストのことばによって、もう一度頑張ろうという勇気が与えられ、人生をやり直す希望を持つことができました。やり直しのきかない人生はありません。

3.愛され続ける希望

   神様は、何があろうともあなたを愛し続けてくださいます。世の中にそんな希望はありません。世の中は、成功している時には多くの人が集まっても、落ちぶれたり、失敗したりすると、途端に人は去っていくものです。しかし、イエス様は、何があろうともあなたを愛し続け、決して見捨てられることはありません。あなたは一人ではなく、いつも神が共にいて、あなたは神に祈ることができます。つらい時、世の中の誰に助けを求めれば助けられるでしょうか、誰かに祈ることができるでしょうか。そんな時、誰かを求めて苦しまなくても、神様はいつでもあなたの祈りを聞き、どんなことをしてしまったとしても責めないしさばきません。あなたの状況を良くわかり、とにかく助けようとしてくださいます。やさしく接し、愛し続けてくださいます。これが、神様が与える三つ目の大きな希望です。
   かつてリーダーダイジェストに、「重度障碍児からピアニストへ」という記事が掲載されました。ある小児科の医師が生後6か月の男の子をある女性に預けました。彼は知能に遅れがあり、盲目で、脳性小児まひを患っており、聴覚と触覚にも反応がありませんでした。彼を預かった女性はクリスチャンで、この子は神が私に与えた宝だと言い、やさしさと愛情を注ぎながら育てました。そして、18年たったある日、奇跡が起きたのです。突然、彼がチャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾き始めました。彼は、ある能力が特化する、天才とも言えるサヴァン症候群だったのです。彼を愛情込めて育ててきた女性は、「こういう子どもは、優しさと愛情があれば治るのです。一時間や一日や一年ではなく、いつまでも続く優しさと愛があれば、治るのです。」と語っています。
   人は愛情を注がれ続けるなら、誰であれ奇跡が起こります。神様はあなたに奇跡を起こしたいのです。神様は、私達がだめなものだから良くしてあげようと言っているのではありません。私達は本来、神に造られた良きものです。ですから、神様には良きものがどういうものになるか、一人一人がどのような花を咲かせることができるかわかっていらっしゃいます。神様は、私達を育て、奇跡を起こして花を咲かせるのを見たいと考えておられます。そのために、優しく愛情を注ぎ続けて、育てようとしてくださっているのです。
   神様は、このような希望を持って私達一人一人をご覧になっておられます。あなたが自分を見てダメだと思う時、神様はそのように見てはおられません。あなたの表面の失敗ではなく、あなたの中に素晴らしいものことをすでに見ておられます。神様は時間をかけて、それをていねいに育ててくださっているのです。つまり、私達の希望は神様の中にあり、私達はそれをすでに持っているのです。このことを知る時、あなたは真の希望を手にするでしょう。神様は私達を愛し続けておられます。

『私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。』(新約聖書 コリント人への手紙第二 3:18)

   神様は、私達を栄光から栄光へと変えられます。だめなものから栄光に変えるのではありません。私達はもともと栄光ある存在なのです。神の似姿に造られた存在なのです。神様にゆだねれば、奇跡を起こしてくださいます。なぜなら、これらはすべて主の働きによるからです。自分を見れば、何の希望も持てません。自分に何ができるだろうかと考え、希望が持てない時も、神様は希望を持っておられます。あなたの中に何があるか知り、愛情と優しさを注ぎ続けるなら何が起こるかわかっておられるので、神は消えることのない希望を持って私達を愛し続けておられます。
   神様が私達にいだいている希望に気づくなら、それが私達に生きる喜びとなります。聖書は、生きる希望があることを教えるために書かれました。それは永遠のいのちです。だから、罪は赦され、あなたの人生はやり直しがきき、神はあなたを愛し続けて実を結ばせます。あなたはただ神様を信頼しゆだねれば良いのです。この希望をしっかり持つならば、意義ある人生を送ることができるでしょう。イエスにこそ希望を見いだす人は幸いです。