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2016年10月30日
神の愛

   以前、アメリカの新聞社が、言葉の定義コンテストを行いました。その入選作に、次のようなものがあります。
   「お金…天国以外のすべてのところに連れて行き、幸せ以外のすべてのものを買うことができる手段」「友達…全世界があなたから去って行った時、ひとり駆け寄ってくれる人のこと」「愛…あなたの存在を喜ぶこと」
   すべて、なかなか深い意味がありますが、特に、この愛の定義は、まさに聖書が教えている愛です。

『また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』(新約聖書 マタイの福音書 28:20)

   この御言葉は、あなたにどんなことが起きようとも、私はあなたと共にいるという神様からのメッセージです。神様は、「あなたが○○だったら愛する」などの条件を一切つけずに、ただあなたの存在を喜び、愛し、共におられます。
   聖書が教える神の愛とはどのようなものなのか、具体的に考えてみましょう。

1.本当のお金をくださる

   先ほどの入選作は、お金では天国や幸せを得ることはできないと言っています。それならば、私達を天国に連れて行き、幸せを与えることができる神の愛は、本当のお金と呼ぶことができるでしょう。ここで、神様が私達にくださったお金とは、イエス・キリストです。イエス・キリストを信じるならば、永遠のいのちを手にし、天国に行くことができ、幸せを手にすることができるのです。

『神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。』(新約聖書 ヨハネの手紙第一 4:9)

   神の愛は、私達にイエス・キリストを与えてくださいました。そのイエス・キリストを受け取ることが、愛を知る第一歩です。では、イエス・キリストを手にすると、何が起こるのでしょうか。

『私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。』(新約聖書 ヨハネの手紙第一 5:13)

   イエス・キリストというお金を手にするとは、永遠のいのちを手にするということです。この世のお金では、決して買えない物を神様はくださいました。神の御心にかなう願いとは、私達が幸せになることです。イエス・キリストは、私達に永遠のいのちを与え、幸せをもたらします。この世のお金では、決してできないことです。
   このことが記されている聖書は、神様が書かれた約束の書です。神様は必ず約束を守ってくださいますから、あなたが神様のもとにその約束を持っていくなら、必ずその通りになるのです。信じて求めましょう。神様は、私達を幸せにしたいと願い、真の平安・喜びに満たしたいと考えておられます。あまりにも素晴らしい約束なので、それを信じない人にとっては、祈ってもどうなるものでもないだろうと笑われるかもしれません。しかし、「あなたが約束してくださったのでここに来ました」と申し出る者すべてに、神様は必ず約束を守り、永遠のいのちを与え、幸せにしてくださるのです。

2.神はあなたの友達になってくださる

   全世界があなたを見捨てても、あなたを捨てず、駆け寄ってくださるのが神様です。よく勘違いされがちなのですが、神様と私達の関係は、主人としもべではなく、友の関係です。

『わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。』(新約聖書 ヨハネの福音書 15:15)

   神が友と言われるのは、全世界があなたを見捨てても決してあなたを見捨てない、真の友のことです。これが神の愛です。

『強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。』(旧約聖書 申命記 31:6)

『神ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。』(旧約聖書 申命記 31:8)


   友とは、あなたを決して見捨てないという意味です。神様は、あなたは私の友であると宣言し、あなたがどこに行こうとも、何をしようとも、絶対に見捨てることなく共に行ってくださいます。
   世間では、その人の調子がいい時には多くの人が集まるものですが、調子が悪くなったり、失敗したりすると、人は去っていくものです。そうであるならば、世の中にいくら友がいても、一人もいないのと同じです。しかし、そういう時こそ、神が共にいて、決して見捨てない方であることを、強く感じることができるのです。
   「フットプリント」という有名な詩を紹介いたします。

「フットプリント」(砂の上の足跡)

ある晩、男が夢をみていた。
夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。
そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。
どの場面でも、砂の上には二人の足跡が残されていた。
ひとつは彼自身のもの、もう一つは神のものだった。
人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。
すると彼の人生の道程には、一人の足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。
しかもそれは、彼の人生で特につらく、悲しい時に起きているのだった。 すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことを尋ねてみた。
「神よ、私があなたに従って生きると決めた時、あなたはずっと私と共に歩いてくださるとおっしゃられた。
しかし、私の人生の最も困難なときには、いつも一人の足跡しか残っていないではありませんか。
私が一番あなたを必要とした時に、なぜあなたは私を見捨てられたのですか?」
神は答えられた。
「わが子よ。私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
私はあなたを見捨てはしない。
あなたの試練と苦しみの時に、一人の足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ。」


   人生の一番つらい時に見捨てないのが神様です。人は、状況によってあなたを見捨てることもあるでしょう。何ができるか、何を持っているかであなたを評価し、できることや持ち物が変われば、評価を変え、去っていくこともあるでしょう。しかし、まことの友である神様は、あなたの過去や、今できること、何を持っているかなどにまったく興味はなく、いっさいそれらを見ないのです。

3.あなたの存在を喜ぶ。

   神様は、あなたに何ができるか、あなたは何を持っているかなどに、興味はありません。神様は、あなたの存在こそを喜ばれるのです。

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』(旧約聖書 イザヤ書 43:4)

   神様はあなたの存在を愛し、その存在は、高価で尊いものだと言っておられます。自分の過去を振り返って悩む必要もなければ、自分の足りなさや弱さゆえのひどい行いを見て落ち込む必要もありません。
   この地上で生きている私達は、頑張らなければ愛されないと思い込んでいます。何かを手に入れるためには、何かをしなければならないと思い込んでいます。誰も気がつかないまま、すべての人が、この「ねばならない」という律法にしばられていることを、聖書は、「罪の奴隷」とか「死の恐怖の奴隷」などと表現しています。そこには自由がありません。
   しかし、神様がありのままのあなたを受け入れ、愛しておられることに気がつけば、あなたは自由になれるのです。神に愛されていることを知れば、生まれ変わることができるのです。
   「ねばならない」という思いから解放されるためには、あなたの存在がそのままで愛されているということに気づくしかありません。それだけが、あなたが本当の自由と平安を手にすることができる道なのです。

   神様は、私達がどのような罪を犯そうとも、その罪を赦し、なぐさめはげましてくださいます。神の愛だけが、あなたを変えることができ、幸せにすることができ、自由をもたらすものです。
   このような愛は、イエス・キリストしか持っておられません。このことに気づく時、私達は、新しく生まれ変わり自由を手にすることができるのです。この愛を手に入れる方法は、ただ「イエス様、私を助けてください。愛を注いでください。」と祈り、受け取るだけです。この祈りによって、私達は、言葉ではなく、理屈でもなく、神に愛されていることに気づきます。神の愛をしっかりと受け取って生きていきましょう。