ホームに戻る 教会の紹介 集会の案内 礼拝メッセージ アクセス English ノアの紹介
メッセージ集TOPへ
2016年10月9日
闇の中に輝く光

   雨が降ると、なんとなく憂うつだと思う人が、日本人には多いようです。しかし、同じ雨でも、雨の少ないイスラエルでは、皆が喜びに沸き立ちます。同じ出来事が、人や状況によって、良くも悪くも感じられるのです。
   私達は苦しい出来事にぶつかると、闇の中に放り出されたように感じ、つらく思うものです。しかし、聖書は、闇の中でこそ神の光は輝くと語り、苦しみを感謝できる道を教えています。

『地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。』(旧約聖書 創世記 1:2〜3)

『光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。』(新約聖書 ヨハネの福音書 11:5)


   天地創造のはじめに、闇の中に光が現れたように、人生の闇においても光があります。この光をしっかりと受け取るなら、私達の心に感謝と喜びが沸き立つことでしょう。

1.苦しみはイエス・キリストと出会わせる

   私達は皆、多かれ少なかれ、なぜ自分のような人間が生まれてきたのかと、自分自身に絶望するものです。自分など役に立たない、いったい何のために生きているのか……。人生の暗闇、絶望とは、この世の光を見失うことです。しかし、この世の光を失っても、ただ一つ、輝き続ける光があります。それは、イエス・キリストです。神ご自身が闇を照らす光なのです。
   多くの人が、人生のつらく苦しいところを通っていた時に、イエス・キリストと出会い、救われました。苦しみに出会うことによって、イエス・キリストという光を見出すことができるのです。

2.苦しみはあなたが進むべき道に導く

   絶望の中で神を見出す時、私達は、自分は何のために生まれてきたのか、自分の進むべき道を知ることができます。苦しみは、私達をキリストと出会わせるだけではなく、進むべき道を教えてくれるものなのです。
   その昔、船が安全に航海するための道しるべとして灯台がありました。さらにその前の時代は、人々は星によって方向を確認し、これから進むべき道を定めました。今、私達は、イエス・キリストという光によって、道を見出すことができるのです。
   暗闇の中でイエス・キリストと出会うことは、慰めを得るだけで終わるものではありません。次にどこに進めばいいのか、何のために生きるのか、自分が進むべき道、今なすべきことを、キリストの光によって知ることができるのです。しっかりと見定めて、生きていきましょう。

3.苦しみは真理を学ばせる。

『苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。』(旧約聖書 詩編 119:71)

   苦しみは私達に神の真理を学ばせ、真理は私達を強くします。
   その真理とは、自分は罪人であり、人も皆、罪人であるということです。人は患難に陥ると、妬んだり、怒ったり、落ち込んだり、裁いたり、必死に何かにしがみつこうとするものです。このような自分に気づき、自分が罪人であり、すべての人が罪人であることがわかると、人は人を裁かなくなります。自分は正しいと思っているから、人を裁くことができるのです。苦しみは、自分の本性を知るチャンスであり、自分の罪深さに気づくチャンスです。
   この世は、罪をうわべのものと考え、悪い行いをするのが罪人であり、良い行いをするのが善人だと考えます。もし、悪い行いをしなくなるだけなら、自分の努力で罪に勝利し、善人になることが可能です。実際、パリサイ人はそのように考え、「私は、週に2回断食をし、立派な行いができるようになり、罪人でないことを感謝します。」と祈りました。しかし、イエス様はこの祈りは正しくないと言われました。私達は皆心の中に罪を持っている罪人なのです。
   何の問題もなく調子が良いと、私達はつい自分は立派な善人だと思ってしまいます。しかし、苦しみを通して、自分の中にあるみにくさ、弱さを知ると、本当に自分が罪人であることに気づきます。この時、初めて、神の愛がどれほど深く計り知れないものであるかに気づき、感謝するようになるのです。そして、自分は神なしでは生きられないと悟り、神の前ではすべての人が罪人であり、だから兄弟姉妹なのだということがわかるようになります。そうすると、私達は、人を裁かなくなっていきます。人を裁くことができる人は、自分が罪人であることに気づいていないのです。それは、罪をうわべのものと考え、うわべで人を判断する生き方を正しいとする、この世の価値観から抜け出せないからです。
   苦しみの中で本当の自分に出会い、自分は罪深く、神の愛と慰めを必要とする者だと気づく人は幸いです。そうすると、見えるものは頼りにならない、頼りになるのは神だけだと気づき、人を裁くこともなくなっていきます。人を頼り、見えるものを頼り、お守りを買い、ご利益を得ようとする生き方から、イエス・キリストだけを頼る生き方に変わります。
   患難を、苦しみを耐えることだけで終えてしまうなんて、もったいないことです。もし、苦しみの中にあるなら、真理を学ぶチャンスです。振り返った時、あの苦しみの時こそ、神の真理を学ぶことができて幸せだったと言えるようになれたら幸いです。

4.苦しみは神への信頼を育てる

   聖書が教える「患難」とは、「苦しみ」のことです。そして、「試練」とは、患難によって選択を迫られることを言います。この二つは、意味が違うのです。
   私達は苦しみに出会うと、神を信頼しようとするか、見えるものにしがみつこうとするか、どちらかの選択を迫られます。これが試練です。患難が試練を迫るのです。また、「試練」という言葉には「誘惑」という意味もあります。たとえ見えるものに誘惑を感じても、神以外の選択肢を捨て、神を信頼するという選択ができると、信仰が成長します。聖書は次のように教えます。

『私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。』(新約聖書 ヤコブの手紙 1:2〜4)

   試練によって、信仰が試され、神を選択できるようになると、平安な者となれます。苦しみは、信仰を成長させるチャンスです。聖書が教える忍耐とは、逃げないことです。神を信じるという選択をし続けることです。こうして信仰が成長し、どんな時にも平安を得る者に至るのです。

5.苦しみは私達を豊かな者とする

   人の目は、暗闇の中にいると、より強く光を感じます。私達にとって真の光はイエス・キリストです。苦しみの中ではより一層イエス・キリストに目が向くので、その結果、私達はより一層豊かな者になっていきます。
   イエス・キリストは、この世の価値観では、実に取るに足らない存在です。小さな村の貧しい大工の子に生まれ、富も地位も名誉も何も持ってはおられませんでした。その上、人々の前でむち打たれ、着物をはぎ取られ、十字架で処刑されます。しかし、このイエスを持つことは、この世界のすべてのものを持つことを意味するのです。
   イエス様が語られた放蕩息子のたとえは、前半は放蕩していた息子が父のもとに帰ってくる話ですが、後半は父のもとで共に働き続けていた兄息子の話です。兄息子は、弟のために宴会が開かれるのを見て、「お父さんは、私には何もしてくれない!」と言って怒ります。しかし、父はそんな兄息子に対して、「おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。」と語りかけます。放蕩息子の話がここで終わっているのは、実に意義深いことです。
   あなたは、人と自分を比べて、神は私に何もしてくれない、私は何も与えられていないと、つらく感じたことはないでしょうか。しかし、決してそのようなことはないのです。イエス様を救い主として信じることができたことで、私達は神と一つとなり、神のすべてを持っていることと同じ状態になったのです。

『御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。』(新約聖書 ヨハネの手紙第一 5:12)

   私達はイエス・キリストを信じることで、神のいのちを持っています。イエス・キリストを持っていない人は、いのちを持っていません。私達がイエス様と出会い、光を持つということは、すべてのものを持つ者となったことを意味します。光があなたを豊かにするのです。「人はたとえ全世界を手に入れても真のいのちを持っていなければ何になるのか。」とイエス様は言われました。与えられた光をしっかりと握ることができれば、私達はすべてのものが与えられていることに気づきます。
   兄息子は、神の恵みが満ちあふれている光の中で生きていたために、自分が真のいのちという素晴らしい光を持っていることに気づきませんでした。しかし、闇の中でイエス・キリストと出会い、その光をしっかりと握るなら、そのいのちがいかに素晴らしいものか気づくでしょう。

忍耐

   患難に会うことは幸せなことです。患難には宝の山があります。逃げてはいけません。患難から逃げないこと、これが、聖書が教える「忍耐」です。

『あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。』(新約聖書 へブル人への手紙 10:36)

   「忍耐」とは我慢という意味ではなく、苦しみから逃げないということです。逃げなければ、必ず神を選択することになり、神の恵みに気づきます。

『もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。
わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」
私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。』(新約聖書 へブル人への手紙 10:37〜39)


   神の恵みは満ちあふれているのですから、恐れ退くことなく、神を信頼し、素晴らしい恵みに気づくまで、忍耐して待ちましょう。苦しみの中に必ず神の光は輝いています。逃げることなく忍耐し、本当の光をしっかりと握って、豊かな者となりましょう。