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2015年月9月20日
献堂11周年にあたり「神は導かれる」
(新約聖書 テトスの手紙3章)
『しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。』(新約聖書 コリント人への手紙第二 2:14)

   会堂を建築するにあたり、まずは土地を探すところから始めました。途中で何度か「これは!」と思う土地が見つかりましたが、そのたびにさまざまな出来事が起こり、場所・時期・金額のすべての最善を、神は不思議な形で導いてくださいました。
   私達が気づかないだけで、神はいつでも、私たちの心のドアをノックし、すべての人に対して最善を導いてくださいます。聖書は私達に、神が導いてくださるから、心に願いが来たら疑わずに信じて行いなさいと教えています。自分を導いてくださる方がおられると知るならば幸いです。

脱出の道が用意されている

『あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。』(新約聖書 コリント人への手紙第一 10:13)

   私達は人生の中で、様々な試練にぶつかりますが、神は私達を耐えることのできない試練に遭わせず、また、必ず試練から助け出してくださると約束しておられます。
   自分の失敗や、思いもかけない出来事など、私達は様々なことで試練にぶつかります。試練は決して神が与えるものではありませんが、神は、私達がその試練に耐え、乗り越えることができるように助けてくださいます。
   試練の中にいる時は、どこに助けがあるのか、なかなか見えません。しかし、道は見えずとも、必ず脱出の道が用意されていると神が約束して下さっているのです。ここに希望があります。
   会堂を建てる土地は見つかりましたが、建築に必要な資金は銀行から融資を受ける必要がありました。ところが、これまで取引のあった銀行から借りる事のできる金額では予算不足のため、新しく融資してくれる銀行を探す日々が始まりました。しかし、当時の社会情勢では、なかなか思うような条件で融資を受けることができません。宗教法人の土地建物を担保とすることは道義的にできないと言われ、教会は他に担保となるような財産などありませんでした。
   イエス・キリストは、「探しなさい。そうすれば見つかります。」と、教えておられます。この時、教会の財産は土地ではなく人である、という思いが与えられました。教会員の皆さんに相談したところ、連帯保証人として30名以上の方が名乗りを上げてくださったのです。このことを通して、銀行が動き始めました。最終的には、連帯保証人の必要なく、必要な金額を融資してくれる銀行が現れたのです。

忍耐し信仰で進む

『あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 10:36)

   土地に合わせて設計も進み、ゼネコンと契約して、いよいよ会堂建築着工となったその時、再び試練が訪れました。ゼネコン側から、材料費の値上がり等によって当初の予算では建築できないと申し伝えられ、工事がストップしてしまったのです。
   しかし、教会にはそれ以上の予算を組む余裕はありません。やむなく工事は中止し、プランを練り直し、再びゼネコンを探すことになりました。完全にふりだしに戻ってしまったのです。
   ゼネコンが決まらないまま、プランを練り直す日が続きます。この時、私達には二つの選択がありました。予算に合わせてプランを半分に縮小する案と、今のプランのまま計画を進めて建築可能なゼネコンを探し続けるという案です。いったいどちらが神の御心なのか、祈り続け、一つの結論に達しました。
   それは、希望は神にあるということです。見えるところに期待するのではなく、神に期待して進む道が示されました。そこで、どんな建物を建てることができるかではなく、どんな教会堂を神様に建ててほしいのかを神様に祈り求めることにしました。
   その結果、教会のプランはますます洗練され、使いやすく、美しく、地域にも健康にも配慮した建物がいいということで、次々とプランに変更が加えられ、設計はより素晴らしいものとなっていきましたが、予算はますますはねあがっていくという結果になりました。
   しかし、その時はもうゼネコンが見つかるかどうかは関係なく、ただ神様に建ててほしいものを祈るだけになっていました。

『わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。』(新約聖書 へブル人への手紙 10:38〜11:1)

   問題にぶつかっても、ここで恐れ退いてしまっては、元も子もありません。まずは、信仰で必ず成ると信じて平安を得る、忍耐の戦いが始まりました。
   会堂を建ててくださるのは神様なのだから、神は必ず会堂を建ててくださることは間違いない、神様にできないことはないのだから、私達の望みをただありのまま祈れば神は必ずたすけてくださると、日々祈り続けました。
   最高のプランを練り続けるのと同時進行で、もっと多く借りるために、借入期間の延長と増額について、銀行と再交渉を始めました。
   すると不思議なことが起こりました。最初の段階で融資を断られた大きな銀行から再び検討したいとの申し出があり、その結果、当初の予定よりも長期間、より安い金利で融資を受けられることになったのです。また、プラン見直しの結果、総予算はあがってしまいましたが、時を同じくして、教会の隣の土地で大規模なマンション工事が始まることになり、同じゼネコンで建築すれば、かなりの金額を節約できるということで、ゼネコンとの契約も決まりました。
   主に信頼すれば、必ず道は開かれます。こうして、この青葉チャペルが完成するに至ったのです。

   あなたは問題にぶつかった時、心から信頼できる方がいるでしょうか。人は例外なく、誰か頼ることのできる人を求めています。
   私達が本当に信頼し、頼ることができる方、それはイエス・キリストです。私達を造って下さった神です。この方こそ、私達の希望であり、頼ることのできるお方です。
   キリストは、私達の為なら命さえ惜しまないと言って私達の罪を肩代わりしてくださり、いつでも共にいてくださるお方です。そういう方が、私達の神であり、共にいてくださっているのです。それを知るとき、人は本当に強くなれます。いくらイエス様を知ってはいても。認めていても、それだけでは、決して強くなれません。神に愛されていることを知る時、初めて人は強くなれるのです。どんな状況でも神が愛していると知ること、これが希望です。イエス・キリストは、決してあなたを見捨てません。
   会堂建築を通して得たもので、最も素晴らしいものは建物ではありません。それは、神への信頼という何物にも代えがたい宝です。建物はいつか消えてなくなります。しかし、神の素晴らしさを知り、神に愛されていることを知ったことは、何物にも代えがたい宝です。 私達に永遠のいのちを与え、この地上での命が終わってもよみがえって永遠に生きることができるようにしてくださり、私のために命すら惜しまない方がいるということを知る時、私達は本当の意味で強くなれるのです。
   神は決してあなたを裏切らず、今もあなたと共にいてあなたを導いておられます。人は、この地上でさまざまなものに頼り、希望を見出そうとしますが、死が訪れる時、それらはすべて失われます。死はあなたからすべてのものを奪い去ります。その死を解決し、私達に永遠のいのちを与えて生き返らせることができるのは、イエス・キリストだけです。キリストがあなたを信頼し、愛して下さっていることを知りましょう。