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2014年月9月21日
献堂記念礼拝 「重荷を下ろしなさい」
(新約聖書 マタイの福音書 11:28)
『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』(新約聖書 マタイの福音書 11:28)

   イエス・キリストは、あなたの代わりにあなたの重荷を負い、あなたを休ませてあげると言っておられます。あなたは、キリストが運転する車に乗せてもらうことができる大物なのです。イエス様は、あなたのことをそれほど大変重要な素晴らしい存在だと思っておられます。イエス様が、そのあなたから取り除いてあげたいと思っている重荷とは、いったいどんなものでしょうか。


1.死という重荷

   人間は、必ず死を迎えます。すべての人は、死という重荷を負っているのです。どうしたら、この重荷を下ろせるのでしょうか。誰がこの重荷を、取り除いてくれるのでしょうか。この問題に、真っ向から答え、希望を与えてくださった方がイエス・キリストです。
   キリストは、人々の目の前で十字架にかかって殺されました。皆が見ている中で、ムチの先についた金属が骨に喰い込むほど打たれ、両手首を釘で十字架に打ち付けられ、槍で突き刺されて、死が確認されました。にもかかわらず、3日後によみがえって、多くの人の前に姿を現しました。イエス様はご自身の身を持って、「私を信じるならば、このように生きる」と示してくださったのです。この復活の希望が、キリスト教の原動力となりました。
   死んだ人間が復活するなど、とても信じられないことです。キリストの復活は事実かでっちあげか、歴史の中で何度も繰り返し論争されてきましたが、結局、誰もキリストの復活はなかったということを証明できませんでした。キリストの復活がなければ、説明のつかないことがたくさんあり過ぎるのです。反対に、聖書は一貫してイエス・キリストが復活したと主張し、キリスト教は世界中に広まる結果となり、今なお広まり続けています。
   もしキリストの復活が事実でないなら、まず、当時の人々がそれを受け入れなかったでしょう。しかし、キリスト教の教えが爆発的に広まっても、誰も異議を唱えなかったのは、彼らもキリストの復活を見たからです。当時ローマ帝国は、キリスト教を激しく弾圧し、迫害していました。世界で最も権力のある国が、キリスト教を根絶やしにしようと力を尽くしました。そのために弟子は散り散りに逃げましたが、かえってそれはキリスト教が拡大する結果となり、各地でキリストの復活が宣べ伝えられ、多くの人がキリスト教を信じるようになりました。そして、ついに、ローマ帝国をキリスト教国家に変えてしまったのです。この力はいったいどこから来るものだったのでしょうか。それは復活という希望です。
   私たちの死という重荷を、イエス・キリストに渡すならば、永遠に生きることができるのです。他には何の条件もありません。将来の死に対して、イエス様を信じておきさえすれば、あなたは永遠に生きることができるのです。


2.過去の失敗という重荷

   誰しも、人に言えない過去や、自分の犯した過ちが、心の重荷になっています。この重荷をイエス様は背負い、つらさから解放してくださいます。
   過去に犯した過ちを隠そうと必死になればなるほど、私たちはつらくなります。しかし、神はその罪を背負い、赦してくださるのです。「神が赦す」という言葉には、「投げ捨てる」という意味があります。完全になかったことにするということです。
   イエス様に過去を背負ってもらって、人生をやり直した人が、この世界に大勢います。ヤクザであっても、家庭環境に苦しんだ人であっても、神はすべての過去を投げ捨て、水に流してくださいます。これが神の愛です。あなたの過去の罪はもう何もありません。
   この神の愛は、理屈抜きで私たちの心に平安を与えます。私たちは自分の過去の記憶に縛られてつらさを覚えますが、神はそれを捨ててしまうのです。キリストが私たちの重荷を背負うとは、十字架に象徴されます。十字架ですべてのものが葬り去られたように、あなたを縛る過去は、キリストが背負ってくださって十字架で葬り去られ、もうないのです。


3.将来の不安という重荷

   私たちには、健康、仕事、家族のことなど、将来に対する様々な不安があります。しかし神は、その不安を全部背負ってくださり、私たちに平安を与えてくださいます。

『だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』(新約聖書 マタイの福音書 6:34)

   神は、どのような不安も背負ってくださる方です。私たちに、「一人で悩むのはやめ、あなたの重荷をわたしに預けなさい。」と語っておられます。
   神を信頼して、あなたの重荷を下ろしましょう。神に不安をゆだねるなら、あなたは休むことができるのです。