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2014年月5月25日
言葉について
(新約聖書 エペソ人への手紙 4:27〜)
『悪魔に機会を与えないようにしなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 4:27)

   悪魔が求めている機会とは、神の計画を邪魔する機会です。その機会を与えないために、私たちは何に気をつければよいのでしょうか。

・神の計画

『神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。』(新約聖書 エペソ人への手紙 1:5)

   私たちを神の子とする、これが神の計画です。父・御子・御霊の神は、上下関係はなく、絶対的な信頼で結ばれ、常に協力して、ひとつの働きをなさいます。そのため、お一人であるのと同じなので、神は唯一と言われます。これが三位一体であり、この関係が「愛」です。聖書が教える愛は、私たちが考える愛とは異なり、絶対的な信頼を持って互いのために生きることです。神の子とするとは、このような信頼と愛で神と交わる者になるということです。
   悪魔は、この計画を邪魔する機会を求めています。まず悪魔は、神と人間の関係を壊し、人間に死をもたらしました。死とは、神との関係が壊れることです。人間は神を愛し人を愛するように造られましたが、神との関係が壊れて、それができなくなりました。その関係を回復するために、イエス・キリストは十字架にかかり、私たちは、イエスは主であると信じるだけで救われ、本来の姿を取り戻して神の子になることができるのです。

『人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。』(新約聖書 エペソ人への手紙 3:19)

『平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 4:3)

『ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全なおとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 4:13)


   神の子となった次のステップは、神の愛を持つことで神の計画は完成します。それは、私たちがひとつになることです。ひとつになるとは、能力や働きの違う者同士が、キリストのからだとして互いを必要なものと認め合い、調和を保って助け合い、愛を持つ人に成長することです。神が、人をそれぞれ違うものとして造られたのには、このような意味があるのです。

『キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 4:16)


・悪魔に機会を与えない

『怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 4:26,27)

   この御言葉は、怒りは罪ではないという意味ではなく、怒りは、私たちがひとつになることを邪魔し、悪魔にとってのチャンスになるものなので、早く怒りをおさめるように教えているのです。怒りは、さばき、批判し、憎み合うことの始まりです。怒りをおさめる方法は、相手を赦すことです。

『もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。』(新約聖書 コリント人への手紙第二 2:10,11)

   悪魔に機会を与えて欺かれないために人を赦しましょう。怒り赦さないことは、神が目指す愛と正反対の悪魔の罠です。この世は、過ちを犯すとその人のすべてを否定しようとしますが、神は人を否定せず、愛し受け入れるように教えています。人を赦すのは、悪魔に機会を与えないためです。

『盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 4:28,29)

   悪魔に機会を与えないために気をつけることは、1.怒りから遠ざかること、2.人に対して悪いことをしないこと、3.悪い言葉を語らないこと、です。
   なぜ、悪い言葉を語ることが、悪魔のチャンスとなるのかというと、神のいのちによって造られた人間の心は、神の言葉を食べて生きるように造られているからです。

『イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。』(新約聖書 マタイの福音書 4:4)

   しかし、神との関わりを失った人間は、神の言葉の代わりに人の言葉を食べて生きるようになりました。神の言葉を食べなくなった人間の心は、非常に不安定な状態になっています。そして、悪いものを食べるとからだの健康を害するように、悪い言葉は心の健康を害します。
   人間の心がもっとも言葉を必要とするのは、つらさを感じる時です。あなたはつらい時、聖書を読んで神の言葉を食べようとするでしょうか。人の慰めを求めたり、不満を言葉にし、批判したりつぶやいたりしていないでしょうか。つらい時、いくら人の言葉を食べても、魂に必要な神の言葉を食べていないので、魂は健康を保つことができず、心のどこかにゆがみを生じます。
   言葉は船の舵のように人間を操るものだから、人間は自分の語る言葉を制御しなければならないと聖書は教えます。小さな火が山全体に広がると手がつけられなくなるのと同様に、間違った言葉が心の中に広がって手がつけられない状態になることもあるのです。
   言葉は私たちの心の糧であり、私たちをコントロールするものです。どんな言葉を食べるかで、心の健康が決まります。


・心の健康に必要なことば

1.聖書の言葉

   つらい時こそ、聖書の言葉を食べましょう。心の中にある否定的な思いを語るのではなく、聖書が教える励ましを私は信じると語りましょう。否定的な言葉を語ると気持ちは落ち込み、どうすればいいかますますわからなくなります。しかし、神の言葉を信じて語るならばその通りになると聖書は教えます。
   また、まわりの人も、あなたの語る言葉を食べます。言葉は自分だけでなく、まわりの人を生かすこともできるので、人の徳を養うのに役立つことばは、聞く人に恵みを与えるのです。否定的なことを語れば聞く相手も否定的になり、信仰を語るなら聞く人も信仰を持ちます。言葉は、使い方を誤れば恐ろしいものであり、正しく使えば素晴らしいものです。

2.さばく言葉・つぶやく言葉を語らない

『さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。』(新約聖書 マタイの福音書 7:1,2)

   人をさばくと、相手にダメージを与えるだけでなく、自分自身も調子が悪くなり、それを聞く第三者にもダメージを与えます。家庭の中で、夫婦が相手をさばくなら、やがて子どもが親をさばくようになります。夫婦は必ず二人だけのところで話し合い、子どもの前で決して夫婦喧嘩をしてはいけません。妻は夫に従い、夫は妻を愛するという聖書の権威を無視すると、子どもが権威を守らなくなります。

3.感謝

『キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。キリストのことばをあなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。』(新約聖書 コロサイ人への手紙 3:15〜17)

   「平和」と「平安」は、同じギリシャ語です。私たちがひとつとなり、神の愛を持つために、感謝の言葉を語りましょう。神の言葉を食べると感謝があふれるようになります。


・聖霊を悲しませない

『また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 5:4)

   もし、子どもが欲しいままに好きなものを食べたら、健康な体は望めません。同様に、私たちも心に浮かぶまま、感じるままに言葉を語っていては、健康な心を保つことは不可能です。自分が何を語るのかについて、私たちは戦わなくてはなりません。
   しかし、食物を自制することが大変なように、自分の言葉をコントロールするのは本当に大変です。この戦いは、自分の力でできることではなく、神の助けを受けなければ、とてもできないことです。そのために、聖霊が私たちと共に住み、助けてくださいます。自分の力のなさに気づくとき、神に助けを求めて祈るなら、必ず神の助けがあり、不思議と変えられていきます。
   言葉を制御できるようになると、人を生かすことができるようになります。感謝の言葉を語る人のまわりには人が集まり、怒ったりさばいたりする人の前では自分を隠します。神の言葉を食べ、さばくことばをやめ、感謝しましょう。

『神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 4:30)

   神である聖霊は、いつも私たちの心の中におられ、私たちが語る言葉を聞いておられます。ですから、否定的な言葉を語ると、聖霊は悲しく思われます。救われた私たちは、やがて必ず天国に行けると約束されているのですから、この地上に暮らしている今も、天国に住む者としての言葉を語り、神を悲しませる生き方をしないようにしましょう。

『無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 4:31,32)

   私たちの心には聖霊が住んでおられるのですから、聖霊を悲しませるさまざまな思いを取り除いて掃除しましょう。心の掃除とは、互いに赦しあうことです。心の中を隠して外側だけ親切に優しい言葉を語るのではなく、神が住んでおられる内側こそ、まず掃除しなければなりません。そうすれば、自然と見えるところも美しくなります。
   怒りを心の中にしまい込み、憎しみや赦せない思いを継ぎ足して心をいっぱいにするのではなく、赦す決心をして怒りを追い出し、聖霊の住まいにふさわしく心の中のゴミを捨てて生きましょう。

『そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。と言います。』(新約聖書 マタイの福音書 18:21,22)

   イエス・キリストは、誰かが自分に罪を犯した場合は、「七度を七十倍するまで」つまり無制限に何度でも赦すように教えています。(マタイ18:21〜22)そして、次のようなたとえをお話になりました。

『王から1万タラントを借りていたしもべは、精算の日に返済することができなかった。そこで王は、持ち物や妻子を売り払って返済するように命じたが、このしもべがひれ伏して期日の猶予を願い出るのを見てかわいそうに思い、彼を赦し、借金を免除してやった。/ところが、このしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で百デナリを貸していた者を見つけ、首を絞めて「借金を返せ」と言った。仲間はひれ伏して猶予を願ったが、彼は承知せず、仲間を牢屋に引き渡した。/これを聞いた王は、そのしもべを呼びつけ、「お前があんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのに。私がお前をあわれんでやったように、お前も仲間をあわれんでやるべきではないか。」と言って、そのしもべが借金を返すまで牢屋に投げ入れた。』(新約聖書 マタイの福音書 18:23〜34要約)

『そして、イエス様は次のように言われました。「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」』(新約聖書 マタイの福音書 18:35)

   なぜ人を赦すのか、それは、キリストが私たちを赦してくださったからです。イエス・キリストは、取税人も、姦淫も、弟子の裏切りも、どんな生き方も罪もすべて赦し、一度もさばかず、あなたの罪を背負って十字架にかかりました。そして、私はあなたを愛している、あなたも人を愛する者となりなさいと教えておられます。人を愛し赦すことで、心の中に巣食うさまざまな悪い思いが掃除されて取り除かれます。
   神は私たちに、人を恨み復讐するために生きる人生ではなく、互いに愛し合ってひとつになり、キリストの愛が満ちあふれる人生を望んでおられます。神はその人生を与えるために人間を造ったのですが、悪魔に邪魔されて、人間はそれを失い、憎み、さばき、傷つけ合うようになりました。それは自分自身も傷つけることです。神が用意してくださった本来の素晴らしい人生を取り戻しましょう。
   まずは家族や身近な人の間でさばくことをやめ、相手を自分自身のように尊重し、愛しましょう。すると、魂が元気になり、本当の意味で生かされていることを体験することができます。
   神があなたを赦すからあなたも赦す者となりなさい、神があなたを愛するからあなたも愛するものとなりなさい、重要な柱として、聖書はくり返しこの二つを教えています。