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2013年9月22日
『祈りはきかれる』

   当教会の歴史は、小さな日曜学校から始まりました。当時神学生だった私は、近所のプールで監視員のアルバイトをしており、そこで知り合った小学生を誘って、自宅を開放して日曜学校を始めました。卒業後、アメリカ留学を経て、1983年、本格的に教会を始めるにあたり、地名から神木イエス・キリスト教会という名称にしました。翌年に教会堂(現在の宮前チャペル)が完成し、1994年には静岡県に二つ目の会堂である掛川チャペルが完成しました。そして、2004年にこの青葉チャペルが完成したのです。
   また、教会発足の初めから賛美のミニストリーをしてきました。宮前チャペル完成と同時に賛美のカセットテープを作って配ると、その働きが次第に口コミで広がり、各地でコンサート等のご奉仕もさせていただくようになりました。やがて、日本人が歌いやすく真心から主を礼拝できる賛美を求めて多くのオリジナル賛美が生まれ、現在は、CDやインターネットを通して数百曲ものオリジナル賛美を日本中にお届けするミニストリーに発展しました。
   本日は、献堂記念日にあたり、神様が導いてくださった経緯を振り返って、教えられてきたことを一緒に分かち合っていきたいと思います。


1.祈りは聞かれる

『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。』(新約聖書 マタイの福音書 7:7)

   この御言葉は、私が牧会を始めた頃、大切にしていた言葉です。私達は日常生活の中で、何を求めたり探したりするでしょうか。この御言葉は私達に、夢・ビジョンを持って生きることを教えています。
   アメリカから帰国して牧会を始めたばかりの頃は、アメリカの賛美を日本語に翻訳して歌っていました。日本で作られた新しい賛美などほとんどなかった時代です。私はなぜアメリカでは新しい歌がどんどん生まれているのに、日本では生まれないのだろうかと考えました。そして、それは私達が神に求めないからだと気づいたのです。そこで私は、求めれば必ず神様が与えてくださるから、新しい賛美を祈り求めようと願いが起こされました。その結果、多くの新しい賛美が生まれ、現在の働きに発展したのです。
   宮前チャペルを建てる時も、この御言葉によって、求めれば必ず主は与えてくださると信じ、教会堂建築のビジョンを掲げました。当時、教会にあった金額は21万円です。常識で考えれば教会堂を建てるなど考えも及ばない金額ですが、祈り続けるうちにビジョンは膨らみ、神様の助けを受けて素晴らしい教会堂を建てることができました。
   私達は心に願いが起きても、つい常識に立って、現実の状態では不可能だろうからやめようと、すぐに結論を出してしまっていないでしょうか。神は私達に、「夢を持ちなさい。ビジョンを持ちなさい。見つかるから。」と教えておられます。
   先日、アフリカのコンゴで医療宣教を行っている先生のレポートをいただきました。コンゴは貧しい地域で、医療といっても十分な設備などありません。ある日そこに一人の妊婦が運ばれてきました。非常な難産の末母親は亡くなり、2歳の女の子と生まれたばかりの未熟児の赤ちゃんが残されました。コンゴという国は赤道直下のため昼と夜の気温差が激しく、赤ちゃんの体は夜の冷え込みに耐えられません。あわてて体を温める湯たんぽを探しましたが、ようやく見つけたゴムの湯たんぽは劣化して、お湯を入れたとたんに破けてしまいました。その晩は赤ちゃんを毛布にくるみ、一晩中抱きかかえて一命を取り留めましたが、先生は途方に暮れてしまいました。
   翌朝、先生は併設している孤児院に2歳の女の子を連れて行き、子どもたちに事情を説明して言いました。「お母さんが死んでしまって泣いているこの女の子と、小さな赤ちゃんのためにみんなで祈ろう。」すると子ども達は口々に祈り始めました。「神様、赤ちゃんのために今すぐ湯たんぽをください。それから、泣いている女の子のためにお人形をください。」
   先生は、子ども達の優しさを嬉しく感じながらも、さすがにそれは無理だろうと思って祈りを聞いていました。というのも、この4年間1度も支援物資が届いたことはなかったからです。
   ところがその日、なんと4年間音沙汰のなかった母教会から支援物資が届きました。中を開けてみると、たくさんの衣類の底に一つ湯たんぽが入っています。先生が心底驚いて湯たんぽを取り出すと、その下には人形が入っているではありませんか。

   祈りは聞かれるのです。ある人にとっては、偶然が重なっただけだと思うかもしれませんが、神は確かに私達の祈りに答えてくださる方です。「探しなさい。求めなさい。あきらめないで祈りなさい。」と聖書は教えています。私達は、最初から無理なことと諦めて、何もせずじっとしてはいないでしょうか。しかし神は、「求めよ」と言っておられるのです。私自身、過去を振り返ってみると、会堂ばかりではなく、多くのものを神様は与えてくださいました。夢を持って求めるとはなんと素晴らしいことでしょうか。
   日本人はどちらかというと夢を抱くことが苦手で、それよりも忠実に仕える生き方を得意としてきた面があるように思います。最近テレビで「八重の桜」という大河ドラマが放送されていますが、その中で、明治維新の若者に「あなたの夢は何か」と宣教師が聞くと、若者達がドキっとするという場面がありました。そのような若者達に「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」と、夢を抱くことを教えたのが宣教師達でした。彼らに教えられて夢を抱いた若者達が、日本の礎を築いていったのです。
   私達は、ともすると不可能だと思うことは諦めてしまいがちです。しかし、たとえ無理だと思っても神に祈ることが大切です。コンゴの子どもの祈りを通して、素直に神に求めることの大切さを改めて教えられました。


2.神の愛

   多くの人は、神とは、悪いことを叱り、良いことを褒める方だというイメージを持っているかもしれません。しかし、聖書が教える神は全く違います。また、神とは、遠い存在だと感じる方が多いかもしれませんが、そうではありません。聖書が教える神は、私達に寄り添ってくれる身近な存在です。共に生きる神であり、助ける神です。罰を与えるのではなく、人間が本来持っている美しさを取り戻させ、私達を美しくしようとしてくださる神なのです。
   ドイツの有名な作曲家メンデルスゾーンの祖父は、モーゼス・メンデルスゾーンと言い、敬虔なクリスチャンでした。ただ、彼の容貌はとてもハンサムとは言い難く、背中は大きなコブがあって曲がっており、彼に振り向く女性はいませんでした。 このモーゼスが、ある時仕事で訪れた先で出会った女性に心を惹かれました。彼は意を決して、彼女に「結婚は天で決められていると信じますか」と聞きました。結婚には神が用意したパートナーがいると信じますか?というこの問いに、彼女は「はい」と答えました。彼女もまた敬虔なクリスチャンだったのです。さらに彼女は、モーゼスに同じ質問を返しました。するとモーゼスは、次のように答えました。
   「無論信じます。天では、神様が生まれる子にどの女の子が妻であるかを告げておられます。私が生まれる時、神は私に『お前の妻の背中にはコブがあるよ』と言われました。そこで私は言ったのです。『主よ。女性にとって背中にコブがあるのはつらいことです。どうかそのコブを取って私につけてください。そして、その女性を美しくしてあげてください。』」
   彼女は、この言葉を聞き、この人は本当に人のことを思いやることのできる優しい人だと感動して、二人は結婚したということです。
   私達は、このモーゼス・メンデルスゾーンの言葉から、神の姿を学ぶことができます。イエス・キリストは、この地上に来る時、父なる神に言われました。「父よ、この人達の罪を私に背負わせてください。そして、この人達を美しくしてください。」
   そしてイエス・キリストは、私達が背負わなければならなかった罪を背負って十字架にかかりました。神は、私たちの罪を罰するためではなく、私達の罪を代わりに背負って、私達を美しくするためにこの地上に来られたのです。

『神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。』(新約聖書 コリント人への手紙第二 5:21)

   神は、イエス・キリストを私たちの代わりとして、彼に罪を背負わせました。私達が本来の姿を取り戻すためです。神ご自身が、私達が背負っていた罪・私達の重荷を代わりに背負ってくださったのです。私達のために自らのいのちを十字架に捧げる方、それが神です。ここに愛があると聖書は教えています。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』(新約聖書 マタイの福音書 11:28)

   イエス・キリストは、あなたの罪の重荷を貸しなさい、私が代わりに背負ってあげるからと言っておられます。神は私達にとって遠い存在ではなく、私達にとってなくてはならない方です。なぜなら私達には多くの罪・重荷があるからです。私達には、それを代わりに背負ってくれる方がいるという希望があるのです。
   モーゼスの妻はモーゼスと出会って結婚しましたが、私達が神を知るならば、神を愛するようになります。「八重の桜」の主人公、八重は会津出身の女性です。会津藩は、長州薩摩に負けて、悲惨な運命をたどった藩です。八重の家族もこの戦いによって命を失い、八重の心の中には激しい憎しみと、なんとか藩を再興したいという思いしかありませんでした。その八重がキリスト教に出会い、初めは抵抗していましたが、宣教師と聖書を学ぶうちに、キリストの愛に触れてクリスチャンになりました。やがて八重は、日本で最初に牧師になった新島襄と結婚し、心の中の憎しみが消え、人のために生きる新しい人生を歩んでいくようになります。その生き方に多くの方が感銘を受け、彼女は、女性初の勲章を受けました。
   重要なことは、彼女の人生を変えたのは神の愛だったということです。彼女の心の重荷を取り除くことができたのは、キリストの愛だったのです。
   私自身もこれまで神に助けられ、責めることなく、私の重荷を背負ってくれた神の愛を体験してきました。イエス・キリストは、あなたの重荷を背負い、あなたを美しくしたいと願っておられる方です。あなたの重荷をイエス・キリストに差し出してみてはいかがでしょうか。