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2014年月4月27日
神の計画
(新約聖書 エペソ人への手紙 3:1〜)
・神の計画

『あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。』(新約聖書 エペソ人への手紙 3:1,2)

『すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現が何であるかを、明らかにするためです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 3:8,9)

   「キリストの囚人」とは、キリストの愛に捕えられた者という意味であり、「一番小さな者」とは、キリストから最も遠いと思われる存在だったという意味です。パウロはかつてキリスト教を激しく迫害する人々の先頭に立っていました。その自分が神の奥義を伝える任務を頂いたのは、ただ神の恵みであり、自分の人生が180度変わることで、多くの人が、神の偉大さを知るためだとパウロは言います。

『先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 3:3〜6)

   「奥義」とは、異邦人も神との関係を回復して救われ、神の約束にあずかる者になるということです。これは、神の永遠のご計画によることなのです。

『神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 1:3〜11)

   神の永遠のご計画とは、私たちを神の子とする計画です。神は、天地創造の前からこの計画を持ち、そのために、人を神に似せてお造りになったのです。(旧約聖書 創世記 1:26参照)
   三位一体の神は、互いにひとつの思いを持ち、完全な信頼で結ばれているおひとりの神です。自分のために生きるのではなく、互いのために生き、ひとつの働きを完成させる、この関係を「愛」といいます。
   人は神に似せて造られたので、神と人の間にも、この愛による絶対的な信頼がありました。「主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」(創世記 2:7)とあり、人が生きるには、神のいのちとの関わりが必要なのです。ところが、この関係を悪魔が壊してしまったのです。
   悪魔については、もともと神が造ったものだとか、天使が堕落したとか、さまざまな解釈や憶測がありますが、聖書にそのようなことは一切書かれていません。聖書は、悪魔は神の計画を邪魔する者として、初めから存在していたと教えています。 この悪魔が蛇を使って、人を神から引き離そうと計画しました。「蛇」は、ヘブル語で「賢い」という意味があり、神が造ったものの中で一番賢く、ある意味、人間に一番近い存在だったと考えられます。そして、人は蛇に騙されて神の思いに反することを信じてしまい、このわずかなずれによって、100%の信頼関係は崩れてしまいました。
   この時、神は、蛇に次のように言いました。『わたしは、おまえと女との間に、また、お前の子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、お前の頭を砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。』(旧約聖書 創世記 3:15)
   「彼」とはイエス・キリストを指します。神の計画を邪魔する悪魔はキリストの敵となり、キリストが十字架で悪魔を滅ぼし、神と人との関係を立て直すという約束を宣言されたのです。神が人との関係を回復してくださること、これが聖書の奥義です。
   今、私たちが、様々なことで苦しんだり、つらくなったりするのは、神との関係が壊れたところから始まっています。人は、神との交わりの中で生きるように造られているので、その交わりがないと愛を失ったと感じ、心に安らぎがなくなります。この不安を解消するために、様々なものにしがみついて生きるようになったのですが、この生き方が新たな苦しみやつらさを生じさせているのです。
   ですから、神に愛されていることに気づくことが、私たちの魂がいやされ、問題を解決する唯一の道です。今私たちは、人に愛を求め、褒められたい・認められたいと願って生きていますが、本来、愛は神から受けるものです。人に愛を求めても、決していやされません。


・カナンの地

   その後、神はアブラハムに、人をどのように救い出し、本来の生き方に回復していくのかを語りました。

『わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。』(旧約聖書 創世記 17:7,8)

   神は、人類にカナンの地を与えるという契約をなさいました。アブラハムはカナンに移り住み、その子孫はイスラエル人と呼ばれるようになりました。しかし、後にイスラエルに大飢饉が起きた時、全イスラエルはエジプトに移住しました。初めは優遇されていた彼らですが、やがてエジプトの奴隷にされ、苦役を強いられるようになります。すると、神は、アブラハムとの契約によってイスラエルを助け出すと宣言なさいました。

『またわたしは、カナンの地、すなわち彼らがとどまった在住の地を彼らに与えるという契約を彼らに立てた。今わたしは、エジプトが奴隷としているイスラエル人の嘆きを聞いて、わたしの契約を思い起こした。それゆえ、イスラエル人に言え。わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出し、労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う。』(旧約聖書 出エジプト記 6:4〜6)

   神から使命を受けたモーセは、イスラエル民族に神の約束を思い起こさせ、彼の言葉を信じた人々は、海を渡り、エジプトを脱出しました。これは、今日のバプテスマの象徴です。イスラエルの歴史は、私たちに示された神の恵みの型なのです。
   カナンの地とは、神と一つになる場所です。私たちは、エジプトで苦しんでいたイスラエル人と同様に、罪の奴隷として苦しんでいます。しかし、キリストを信じるなら、そこから贖い出されて自由になれるのです。イスラエル人のエジプトからの解放は救いを意味し、まず神を信じて救われ、そしてカナンの地を目指す旅がスタートするのです。
   当時エジプトからカナンまでは2週間ほどの道のりでしたが、エジプトから脱出したイスラエル人がカナンに到着するまで、40年もかかりました。これは、人々が神への信頼を取り戻すための訓練の期間だったのです。
   人は、死によって神と離れた結果、神への信頼を失い、見えるものを信頼するようになってしまいました。そこで神は、私たちが本来の姿を取り戻すため、神への信頼を回復することによって、カナンの地に入ることができるという計画を立てたのです。
   神は、人々を罪に気づかせるための十戒と、罪の赦しを与えるための祭司の制度をお与えになりました。十戒は、現在、人類の考え方の基本となり、近代国家の基礎にもなっていますが、本来の目的は、自分の中にある罪に気づき、罪と戦って、神を信頼する信仰を回復するためのものです。この神が定めた祭司という制度は、十字架の贖いによって罪が取り除かれるという今日のキリストの贖いを表すものです。こうして神は、見えるものにしがみつく偶像礼拝をやめさせ、神を愛し人を愛する本来の姿を取り戻させて、イスラエルをカナンの地に連れて行こうとなさいましたが、多くの人が神を信頼できず、カナンに入ることができませんでした。

『聞いていながら、御怒りを引き起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た人々の全部ではありませんか。神は四十年の間だれを怒っておられたのですか。罪を犯した人々、しかばねを荒野にさらした、あの人たちではありませんか。また、わたしの安息に入らせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。それゆえ、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 3:16〜19)

   神の計画は、神の子として造った人間を、神の子に戻すことです。救い出して終わりではなく、カナンの地にまで戻す計画なのです。カナンの地とは、神との関わりの中で得られる霊的な安息を意味します。つまり、神が全人類に永遠に約束したものは、神との関係を回復し、さらに神を絶対的に信頼するところから来る安息を与えるというものです。しかし、エジプトを脱出したイスラエルは、神を心から信頼することができず、安息を手にすることができませんでした。神は今、私たちに次のように言われます。

『こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 4:1)

   神は、私たちを神の子とする計画を持っていましたが、悪魔によって邪魔されてしまったため、私たちをもう一度もとの姿に回復して計画を完成すると約束してくださいました。
   イエス・キリストは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放し、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために十字架にかかられました(ヘブル2:14〜15、9:26)。これが、私たちをもとの状態に回復して、神への信頼を取り戻し、神の子とする計画です。
   私たちは、まず神を信じてバプテスマを受け、神の言葉に従って罪に気づき、悔い改めて赦される恵みを体験することで、神を信頼する信仰を取り戻していきます。そのために、神はあなたを助けると励ましておられます。これが私たちを安息に導く計画です。
   この神の計画を信じた者は、神の恵みの相続者となり、カナン全土を与えるという約束にあずかる者になるのです。つまり、信仰を回復すると、神との関わりを通して平安を得ることができるという約束です。イエス・キリストを信じる者は、皆アブラハムの子孫であるとガラテヤ書にある通り、私たちはアブラハムの約束を受け継ぐ者となるのです。

『その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 3:6)


・私たちが相続する約束のもの

1.救い

   神を愛し神を信頼する本来の姿を取り戻すには、まず神との関係を取り戻すことを相続しなくてはいけません。それが、永遠のいのち、すなわち救いです。神は行いではなく、イエス・キリストを信じる信仰によって救われる道を用意してくださいました。

2.神への信頼

   次に私たちが相続する財産は、カナンの地すなわち安息です。神の計画は、救いが最終目的ではなく、神を信頼することで得られる平安を相続させたいのです。

『これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画によることです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 3:10,11)    

   神の永遠のご計画、それは、あなたを神の子とする計画です。神の子は、神を絶対的に信頼することができ、神との間に完璧なやすらぎ(安息)を持つことができます。ところが、悪魔がその信頼を壊してしまいました。神への信頼がないことが罪であり、この罪を取り除くために、キリストが十字架にかかってくださったのです。
   罪の正体は、愛されていないという恐怖です。この恐怖のために、人は見えるものにしがみついています。そこでキリストは、あなたを愛していることを示して、あなたを恐怖から解放しようと、十字架にかかってくださいました。ですから私たちは、罪を言い表すだけで、無条件で赦されるのです。あなたが自分の罪に気づき、神の前に言い表すならば、この愛を体験することができます。すると、多く赦されたものは多く愛するようになるという御言葉のとおり、私たちは、神を愛し人を愛するという本来の姿に戻っていくのです。私たちが本来の姿を取り戻すことが、神の計画であり奥義なのです。この福音を信じ、本来の自分を取り戻す道を信じて進んで行きましょう。

『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』(旧約聖書 エレミヤ書 29:11)